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寛政10年12月19日、仙台藩医木村壽禎が七北田刑場で行った解剖の供養碑の拓本。この供養碑は、明治9年道路改修の際
発見された。長与専斎は我が国解剖史上の名品と賞賛したが、碑石はその後洪水のため失われた。
木村壽禎は長崎に遊学し、大通誦楢林重兵衛に師事して和蘭語や和蘭医学を修めた。仙台に帰った後、解剖を行ったため穢しいことをしたと誹謗中傷を浴び、優れた解剖技術があったにも拘わらず、側近従医にはなれなかった。
全国に先駆けて西洋医学科を開設し、官許を得て人体解剖に学校の総力を挙げた仙台藩医学校が創設される17年前のことである。 なお、供養碑の模刻が仙台市荒町の佛眼寺本堂にある。
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