解 体 発 蒙
   
 18世紀から19世紀にかけて、人体の構造の知識が急速に普及していくなかで、古来から五臓六腑、陰陽五行説を是とする漢方医たちのなかに、新しい解剖知識を肯定して、解剖所見に五臓六腑説を牽強付会した漢蘭折衷派が生じた。その代表的著作が 三谷公器(1755-1823)の「解体発蒙(かいたいはつもう)」である。
 享和2年(1802年)京都で荻野元凱(1737-1823)の門人らが行った解剖に三谷も参加し、そのときに得た所見に基づいて「解体発蒙」を著した。この書の解剖図は多色刷り木版印刷で、その見事さは医書のなかで際だっている。
 三谷は近江の人、名は樸、字は公器、号が笙州。京都に住み、小野蘭山の弟子で本草に詳しく、鳥獣の解剖もたびたび行った。
  (図録日本医事文化史料集成 第2巻より)
    *牽強付会(けんきょう-ふかい):
     自分の都合の良いように強引に理屈をこじつけること。(大辞林第二版)
   
         解体発蒙 巻之一

解体発蒙 巻之二

解体発蒙 巻之三

解体発蒙 巻之四

解体発蒙 巻之五
−東北大学附属図書館医学分館所蔵−        
   
貴重資料室    医学分館